その8・病院でのクリスマス

Y病院はキリスト教系の病院なので、クリスマスは大きなイベントだ。
12月に入ると朝かかる音楽(毎日礼拝が放送される)はクリスマスソングになり、病棟内にはツリーなどが飾られ始めた。
見舞いに来た母(洗濯物や差し入れのため、2、3日に一度は通ってくれた)が、下のロビーに見事なツリーが飾られている、というのだが、病棟を出れない私は見ることができない。後、見舞いに来たダンナがデジカメで撮影してくれたものを見ることができた。
クリスマスの1週間ほど前、助産師さんが「聖歌隊が病院を回ってて、この病棟にも来るんだけど、聴く?」といわれたので、廊下まで車椅子に乗って連れて行ってもらった(このとき私の安静度は、ベッドサイドのみ徒歩OKで後はトイレも車椅子)。
聖歌隊は、病院スタッフさんが集まって結成されたもので(この中で目立つかぶりものをしていた人がいたが、後で聞くとなんと小児科の先生だった)、忙しい中クリスマスソングを歌って、入院患者を慰めてくれていたのだ。
クリスマスソングを車椅子に乗って一人聴いていると、涙がぽろぽろでてきた。なんとかクリスマス目前まで持ったという感謝、妊娠したまま年を越せるのだろうかという不安と祈りが、心の中で一気に押し寄せてきたのだ。人前で泣くのは嫌いなのだが、妊娠すると精神がただでさえ不安定になるらしいので、どうしようもない。
歌い終わった聖歌隊に私は感謝を込めて、産気づいた妊婦さんが廊下をふらふら歩いている中、たった一人で拍手を送った。聖歌隊は私に「メリークリスマス!」と言うと、「さ、次はNICUに行こうか。」と話しながら去っていった。早産で産まれてしまった赤ちゃんたちにクリスマスソングを聴かせてあげに行くのだろう。
そしてクリスマスイブ。この日は、産科病棟のスタッフさんたちが催しを行ってくれた。先生方や助産師さんたちがかぶりものをし(どこに隠してあったんだろう)、クリスマスソングや歌を披露してくれたのだ。このとき、入院患者は私のいる部屋に集められたのだが、それはこの時の入院メンバーの中で、私がただ一人ベッドサイドのみしか歩けない安静度だったからだ。
楽器等も使って、スタッフさんたちは忙しい中、いつ練習したのか(どうも当日までできなかったらしい、と後で聞いた)、一生懸命歌を披露してくれた。入院患者は私以外は全員涙していた。なぜ私以外かというと、私は前回泣いているので涙がでなかったこともあるが、それよりも何よりも私の好きな賛美歌を歌ってくれたことで驚いていたからだ。実は、前回の聖歌隊がやってきた時、助産師さんに「fujiappleさんは何のクリスマスソングが好きなんですか?」
と聞かれ、この賛美歌だと答えたからなのだが、そのとき助産師さんはなぜそんなこと聞くの?と首を傾げた私に、
「ちょっと聞いてみただけです、うふふ。」
と微笑んだことがあった。このために、私に尋ねたのか。なんて素敵な気配りなんだろう。
歌が終わると、医長さんが挨拶した。
「クリスマスを病院で過ごさなくてはならない皆さんに、少しでも慰めになればと思います。来年はきっと家でクリスマスを過ごすことができると思いますよ。」
病気で入院しているわけではない産科の入院患者は、どんなかたちであれ、いずれは退院できるということなのだ。病棟の「主」になりつつあった私は、病院に長くいるが故に、多くの入院した妊婦さんたちを見ていたけど、どんなかたちであれ、母体と赤ちゃんにこれ以上は望めない、という、人それぞれのベストな状態でみんな退院していった。で、私と赤ちゃんにとって、これ以上望めないというベストな状態はいつなのだろうか?願わくばそれがもっと先であることを祈った。
催し終了後、その日の担当助産師さんに言った。
「この時まで入院できたからこそ、面白い催しを見せてもらえました。」
「そういってもらえれば何よりですよ。」
クリスマスディナーを食べ、眠りにつき、朝を迎えると、テーブルの上に手作りのクリスマスカードがあった。産科では、この時期に入院している人に配っているとか。
この時まで入院したからこそもらえるカード。そして、赤ちゃんはまだお腹の中にいてくれている。すべての事柄に感謝したクリスマスだった。