その2・治療

私の治療はこんな感じでスタートした。
お腹の張りをとめるための張り止めを24時間点滴、これは帝王切開当日まで続いた。
(最終的にはウテメリン6Aが18ml/h、マグセントは12ml/hが最高値。たぶんかなり高い値)
感染値を下げるための抗生剤の点滴を日に2回、これは感染の値が下がってくると飲み薬になり、やがてなくなった。そして子宮頚管の炎症をとるための膣洗浄と抗生剤の注入を毎日してもらい、これは感染の値が下がると頻度が下がっていき、34週すぎにはなくなった。
お風呂は36週まで許可でず、身体を拭いてもらった。髪はシャンプー台で病室にて洗ってもらった。結局お風呂は34週過ぎまで許可がでなかったものの、2〜3日おきに身体をふいてもらい、シャンプーしてもらえたのはありがたい話である。
安静度は、当初は点滴台をカラカラひいて病棟内を歩いていたが、後、出血してしまい、それからほぼ2ヶ月間ベッドサイドしか歩行許可がでず、車椅子でトイレに連れて行ってもらう日々だった。これも病院の方々は嫌な顔一つせず連れて行ってくれて、ありがたい話だった。
で話は元に戻って、入院初めの2日は全く感染値が落ちなかったらしい。
つまり、感染値が高いと赤ちゃんに影響がでる可能性があるため、子宮が自然に赤ちゃんを出そうとする、そのため規則的な張りが起こる。この張りがひどくなると陣痛になるのだ。まだ21週での入院ということもあり、先生ははっきりいわなかったが、このとき産まれてしまえばまず助からないそうだ(T T)。
ただ不思議なことに、これだけ張っていても私の子宮口は全く広がらなかったし、子宮頚管も短くならなかった。これが最終的に大きな意味をもつことになった気がする。
張りはなかなか収まらず、薬もウテメリン点滴では治まらず、マグネゾール(後にマグセント)が追加された。このマグが曲者なのだが、これは別に述べよう。
しんどくて眠れない日が2日ほど続いたが、感染の値が下がるにつれ、眠れるようになってきた。この頃、助産師さんたちがしきりに私に「眠れるか?」ときいており、私の身体を気遣ってる?とだけこのときは思っていたが、実は、眠れないほどの張りが規則的にあると、それが陣痛につながる可能性があり危険、つまり眠れる程度の張りなら問題ない、という意味をおびていたのだったことを私は後で知った。
知らなかったからこそ、いいこともあるのだ。知っていたら余計落ち込んでいただろう。