最終回・さらばY病院

帝王切開の母子は1週間前後入院することになっている。普通分娩よりも回復が遅いためだ。普通分娩の人は出産後まもなく歩いたり、ごはん食べたりしていたが、帝王切開はそうはいかない。ガスがでるまでは普通の食事はできないため、非常にひもじいし、傷が痛くて動けないし、尿管外すという手間もあるし・・・無事に産まれればどんな方法でもいいじゃないかと思っていたが、やはり普通分娩が最善なのである。
この間の1週間は、赤ちゃんの世話、母乳育児等々で、非常に忙しい。だが、入浴や売店に買い物に行く時(産後病棟からでることは許され、うれしくて私はよく売店でジュースを買った、母乳育児の時は甘いものはだめなんだけど水分は取らないといけないので)等は、新生児室に預ければよい。ちなみにY病院では母乳育児を推進しており、それゆえに母子同室を実行している。私は手術の次の日、長いこと世話になっていた部屋を出て、普通の産婦さんが入る部屋にうつった。長いこと病院で暮らしていたため荷物が多くて、まとめるのに手間がかかった。長いこといた病室を出るときは感無量だったが、普通の産婦さんの部屋に入るとその明るさに驚いた。日当たりはもちろんのこと、周りの空気が何というか、ほんわかしておめでた気分でいっぱいというか・・・
「なんていうか、その、あまりに違うというか・・・私、場違いな気がします。」
なんて、助産師さんに話していた。
助産師さんやスタッフさんたちも感無量だったようで、
「ここであなたを見れるとは思いませんでした。」と涙ながらにいわれたし、出産に立ち会ったN助産師さんにも、
「本当にうれしかったです。いろいろ大変だったでしょう。」
といわれて、早く時間が過ぎてほしいと願っていた4ヶ月を思い出し、思わず涙したことも。
母乳はなかなか出ないし大変な1週間(母乳関係はまた別の時に書く)だった。その間、私は隙をみつけてなるべく多くの病院の方々をつかまえ、娘と一緒に写真を撮ってもらった。娘が大きくなったら、写真見せて、この病院の方々に私たちが助けてもらったことを伝えるのだ。病院の方々は慣れているのか、快く写真におさまってくれた。それでも全ての方々の写真は撮れなかったし、全ての方々にお礼を言えたわけではないのは心残りだった。
退院の日。この日の担当のNS助産師(Y病院の助産師さんは美人ぞろいだが、この人は特に美人であった)が、助産師の方々からの寄せ書きをくれた。
「退院の日にあなたを担当できて本当によかったわ。」
笑いながら私と握手をしてくれた。また涙がでてしまう・・・
「ありがとうございます、これ、宝物にしますね。」
思いもかけない贈り物に感動した。もし2人目を授かることがあれば、ぜひまたここでお世話になりたいと本当に思った。
最後、詰め所に行くと、M先生がいた。よかった。お産の立会いに行っていると、挨拶ができないからラッキーだった。最後にみんなに挨拶し、迎えに来てくれた父母(ダンナは仕事)と共に病院を出た。
タクシーの中で遠ざかる病院を見ながら、私はうれしく、なのにさびしかった。入院中はここを早く出たい、と思っていたのにどうしたことだろう。暖かく私たち親子を見守り、助けてくれた方々と別れることがさびしかったのだ。
でも、すぐこれから始まる育児への期待と不安で胸はいっぱいになり、病院は見えなくなった。
Y病院のみなさん、本当にありがとう。

これで「切迫早産入院日記」は終わり。悲しい涙・うれしい涙あわせて、今まで生きてきた中で一番多くの涙を流した時期は終わり。次は育児日記で、新生児時代のこととか、母乳育児のことは書く予定。